この記事ではキリスト教における祈りについての概念を簡単に説明していきます。
キリスト教の祈りの特徴とは
まず大前提としてキリスト教の祈りの本質について説明していきます。
キリスト教の祈りの本質は神との対話です。
キリスト教での祈りは自分一人ではなく神との対話で成り立っています。
神と対話することによって神の御心(おこころ)を求め神の声を聞こうとする行為こそが祈りになります。
神の臨在(りんざい)を知ることが現世を生き抜く私たちにとってはとても重要になります。
自分一人での内面的な会話ではなく対外的な神との対話こそが神との親しい交わりなのです。
自分の願いを叶えるためだけの祈りはその願いが叶わなかった時(ご利益がないとき)に神の存在を信じられなくなってしまいます。
これは本当の意味での祈りではなく自己完結型の祈りと言えます。
この自己完結型の祈りはキリスト教が目指している祈りではありません。
先ほども書きましたがキリスト教での祈りの本質は神との対話です。自分の願いや欲望を叶えるためだけの祈りは自己中心的であまりよくない祈りとされています。
現代日本人は『祈り』が身近にない
データ参照:世界の宗教を知ろう
こちらの円グラフは世界の各宗教の信者数とその割合を示しています。
こうして見てみると多くの人が何かしらの宗教に入っていることが分かります。
日本は世界的に見て宗教やお祈りに馴染みのない珍しい国だと言えます。
従って現代日本人に祈りの習慣が無いのは仕方のないことなのです。
宗教によってお祈りの定義や儀式が違います。
キリスト教はイスラム教やヒンドゥー教と比較すると祈りのルールが緩やかとされています。
キリスト教の場合、決まった時間に決まった方向を向いて祈りを捧げるといったことがないです。
ですので誰でも簡単に祈ることができます。
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神様イエスキリストを私の為に送って下さった事をありがとう
十字架にかかって私の悪、悪い事、罪、の為に死んでくれてありがとう
私の罪を赦して下さい
イエス・キリストを信じます
イエス・キリストが十字架の上で私の全ての罪を背負って死んでくれた事を信じます
イエス・キリストを私の救い主として受け入れます
イエス・キリストの御名によって
アーメン
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